4月1日オープンの看護小規模多機能で働きませんか?!

4月1日オープンの看護小規模多機能で働きませんか?!
介護福祉士(社員、非常勤)を募集しています。
お気軽にお問合せください。

お問い合わせフォームへ
採用情報のページへ

 

 


ぐるんとびースタッフセミナー第1回

ぐるんとびースタッフセミナー

第1回『地域にもう一つの家族をつくる看護・介護』

・ぐるんとびー訪問看護ステーション
・小規模多機能ぐるんとびー駒寄
・看護小規模多機能ぐるんとびー駒寄

それぞれが、それぞれの形の思いや活動を紹介。

ご参加してくださったみなさま、
ありがとうございました。

         

まこっさん、飛び入り司会、スペシャルサンクスでした!

第2回は2月頭にやりまーす。


この時代、この場所で

みんな【この時代、この場所で】共に生きている。

今回でぐるんとびー第一章(創業期)的な
ぐるんとびー主体で踏ん張る時期は終わりだと感じた新年会。

今回はぐるんとびーのスタッフのみだったけど
総勢100名近くがパークサイド駒寄集会所に集まった。

ぐるんとびーは『地域を一つの大きな家族に』を掲げいる。

『事業をつかって地域のつながりを最大化する』
地域住民の活動体であり今は介護保険を主に使ってるが
シャルマンコーポで看護小規模多機能が開始すると
住民とスタッフの関係性がもっともっとグラデーションとなり
そして、事業も介護保険の枠を超えていくと
参加者は地域の仲間や自治会の方々までになり、それは
もはや、地域のお祭りや防災イベントになるんだと思う。
✳︎NPO化しながら地域の中に内包されていくイメージ

こんな親たちの背中を見て育つ子どもたちが、地域の子どもが、
その子どもたちのネットワークが、どうなっていき、
どんな成長をしていくのか、過剰な期待はしないけど
本当に楽しみだ〜。

子どもが大庭でNPO立ち上げたり、起業したりするのを
応援できる地域社会をつくっていきたい。

準備してくれた仲間に心から感謝。ありがとう!


ぐるんとびー忘年会

2019ぐるんとびー忘年会。

     

今年一年も大変お世話になりました!

日頃からお世話になっている多くの皆様、
被災地支援にご協力くださった皆様、
本当にありがとうございました😊

長野の被災された農家さんのリンゴとともに。


ぐるんとびーの防災術:団地があれば避難所はいらない?!

ぐるんとびーの防災術:団地があれば避難所はいらない?!

健介さん(ぐるんとびー代表 菅原健介)は、全国ボランティアナースの会『キャンナス』のコーディネーターとして、東日本大震災における被災地支援を経験。以降も、熊本、広島、千葉、長野と相次ぐ自然災害によって被災した地にいち早く訪れ、支援を行ってきた。

そんな健介さんがぐるんとびーにおいても大切にしてきたのは、「平時からの備え、平時からのつながり」。

平時から顔の見えるつながりがあれば、いざという時に強い。

平時から備えていてこそ、非常時に力を発揮する。

避難所の困難な環境をよく知るからこそ、避難所に行かなくてもよい地域づくりを謡い、「団地が避難所として機能すれば、そもそも避難所はいらない」と語る健介さん。

10月に発生した台風19号に見る、ぐるんとびー流防災術の一部始終を大公開!

 

そもそもぐるんとびーを団地の一角に開設した理由

・地盤が固い。

・保健医療センターが目の前にある。

・堅牢なUR団地である

これらの立地条件から、災害拠点になることも視野に入れて、事業所を開設!

事前防災のススメ

1、災害が起きてから対応するのではなく、事前防災していればなんとかなる!

2、台風19号が藤沢に及ぼす被害の可能性としては、停電、断水。(建物の倒壊はほとんどないだろう。)

必要なのは、停電・断水および食料対策(+α

・飲料水:UR団地内にある自宅だけで100ℓの備蓄。事業所にも常時50ℓ。台風に備えて新たに買い足したもの、同じ団地内のスタッフ宅も含めて300ℓを準備。

・生活用水:事業所始め、団地内にあるスタッフの家、利用者の家、併せて浴槽15個分に貯水。

3000ℓの生活用水を確保。

・電気:平時から災害用のライトを多数準備。

また普段から、蝋燭を使う習慣も。

食料:ひたすらご飯を炊いておにぎりに。

7階の事務所、6階の小規模多機能と菅原自宅、併せて40合!前日の夜から5合のお米を4回。

小規模多機能を統括するケアマネ石川さんも自宅にて

20合を炊いて参戦。(おかずも事前に準備。スタッフの中には、冷蔵庫にあるものをすべて揚げたという強者も)

念のため、カセットコンロもボンベだけで3個入り7セットを備蓄。

防災+α

  • 事業所の窓ガラスにガムテープを貼って、ガラス飛散防止。
  • トイレ:

・ビニールをかぶせて、尿取りパットや新聞紙を詰めて、そこで排泄できるよう整備。さらに、排泄後に袋ごと捨てるための箱を設置。

・普段から大量の尿取りパット、ゴミ袋45リットル(1000枚)を備蓄。

・ラップポン(簡易トイレ)も被災時には便利。団地に住んでいる利用者さんは平時からラップポンを使用。利用者さん宅、ぐるんとびーで4台程度設置。

・段ボールベッド20セット常備。

ご利用者さんへの対応

・スタッフのシフトを調整し、家族のいる利用者は家にいてもらい、独居の方はぐるんとびーにお泊まり。

訪問看護の利用者には、台風の日にショートステイの利用を促し、ステイ先が見つからない場合はぐるんとびーに泊まってもらうようにした。

当日は、アパートや築100年の家に住んでいて不安のあるスタッフを始め、川の近くに住むスタッフが子連れ・犬連れでぐるんとびーに泊まりに来たり、団地の一人暮らしの人がやってきたり。

逆に同じ団地に住む利用者さんがスタッフに「うちに来てもいいよ」と声をかけてくれたり。

「考えられるだけの準備」をしたら、後はいつも通りに過ごす、以上に、なにやら愉し気でもある

ぐるんとびーらしい光景が見られた台風の日。

団地住民からも「ぐるんとびーがあるから安心」「家族も安心と言っている」という声が聞こえてきた。

 

備えすぎ、なんてことはない。事前防災で憂いを吹き飛ばす。

これでもかと災害に備えるぐるんとびーには、東日本大震災を経験しているスタッフ4名に加え、災害支援の経験があるスタッフが6名ほどいることも大きい。

災害がもたらす影響を痛感するからこそ、事前防災にスタッフ一丸となって対応できる。とはいえ、被災した経験、あるいは災害支援の経験の有無で、どうしても意識の差が生じるため、スタッフには積極的に被災地支援への参加を促す。

今回の台風による被害が大きかった長野県長野市にキャンナスの活動で初めて被災地支援に入った看護師の鎌田さんは、「被災地支援を通じて、ぐるんとびーの事前防災も決してやりすぎではなく、ここまでした方がよいのだということを身をもって体験できた。

ここまでするからこそ、安心して過ごせる」と語る。

平時からご近所さんとの顔が見えるつながりを団地で作ることができれば、被災した場合に避難所へわざわざ行かずとも、団地自体を避難所に転用できると考える健介さん。

「ぐるんとびー関連の部屋が団地内に10部屋、1500㎡程度のスペースがあり、介護が必要な人50名程度はぐるんとびーで受け入れられます。

また、介護を必要としない人は、団地の230世帯に対して自治会がマッチングしていけば、100200人は受け入れられる。

被災した場合にも、地域に福祉のマインドを持って連動する団地やマンションがあれば、避難所はいらないはずです。」

ぐるんとびー設立の根底には、健介さん自身の東日本大震災での被災地支援体験がある。

被災した時にも避難所を必要としない、平時からの地域づくりは、ぐるんとびーが大切にする柱の一つだ。


「治さない精神治療って何するの? ~浦河ひがし町診療所の取り組みから~」

北海道浦河町と言えば、社会福祉分野では言わずと知れた、当事者研究の発端であり、精神疾患などを抱えた人の活動拠点である『べてるの家』。

そんな『べてるの家』の設立メンバーであり、『浦河ひがし町診療所』を運営しながら浦河町の人たちを支え続ける院長の川村敏明先生のモットーは「治さないこと」。

 

2019年12月8日に開催された、ぐるんとびー主催イベントでは、医療法人薪水が運営する浦河ひがし町診療所の副院長であり、小規模多機能型居宅介護事業所いろりの所長であり、ソーシャルワーカーである高田大志さんを始め、看護師長・塚田千鶴さん、本間恵子さんが登壇し(塚田さん、本間さんのお2人はぐるんとびーを見学にきた‘だけ’のつもりだったところを飛び入り登壇。これもまたぐるんとびー流)、「治さない」精神治療について、思いの丈を語っていただきました。

 

精神科病棟を廃止、地域へ

2014年、浦河赤十字病院(日赤)による精神科病棟の廃止には相当な覚悟が必要だっただろうことは想像に難くない。しかしながら、ソーシャルワーカーの高田さんが、診療所の副院長で小規模の所長という役割を担っているということからだけでも、浦河町がいかに本気で精神疾患のある人たちを患者として病院に閉じ込めるのではなく、地域の中でともに生きていこうとしているかがわかろうというもの。

べてるの支援のおかげで空きベッドが増えていたことが大きな後押しとなったのは事実だが、過疎化により看護師不足、医師不足が進む中、一般科・救急医療の維持のため、廃止は不可避な選択でもあった。

 

「べてるの人と間違われますが、最近否定もしません」と元日赤のソーシャルワーカーだった高田さんは笑うが、病院の相談室を飛び出していく過程には様々なチャレンジが待っていた。たとえば、重度の患者だったYさん。退院支援の一環として、よかれと思ってべてるやデイケアを試みたが、続かない。

 

「そもそもすべての人がべてるに合うわけではないですよね。べてるの支援にも乗り切れず、長期入院してきた人たちはすぐに地域に出せない。」

重度の方の地域移行の場として、医療法人薪水ではグループホームも運営するが、元々はYさんの支援として、24時間対応共同住居からスタートし、1年後にグループホーム化した。

最初は居間に布団を敷いて、外泊体験するところから始まったが、服薬支援は仲間が交代で行うようになり、そのうち、仲間がべてるに行くので、一緒に自然とついて行くようになった。

世話人が交代で泊まり込み、1年間持ち出しだったというが、病棟閉鎖という逃れられない現実があったからこそ、ありとあらゆる手を使って人を支えるベースができ、べてるともまた異なる浦河ひがし町診療所流の支援へとつながった。

「家をお願いします」と言えば「ここどうですか?」、「お金が足りません」と言えばお金が出てくる。「言えば何でも揃えてくれる」と高田さんが大きな信頼を寄せる看護師長の塚田さんは言う。

 

「日赤の看護師として、急性期もやりながら人の命に関わって、それが看護師だと思いながらも、病気を看ていると、暮らしをみることができない。暮らしがみたいと、精神科に移動しました。患者さんに何かをしてあげるのが看護師の仕事と思っていましたが、病棟の廃止が決まり、外へ出て、感情の交流をしていると、同じ人として病気だけではない一面が見えてくる。

精神科の患者さんは、自分に正直で自分を大切にしている人たち。

患者と看護師という固定の関係性ではなく、人と人として、白衣を脱いで、外へ出て、一緒においしいものを食べて、楽しい時を共有する。病気でつながるのではなく、楽しいことでつながる。こうして多くの方が地域で暮らせるようになりましたが、もちろん全員ではありません。別の病院へ転院した方もいます。」

 

続いて、日赤からべてるを経て、現在は小規模多機能いろりで高齢者の介護に関わる本間さんは、「日赤で長期入院の方を看て、その後、べてるへ。病院では表情を失っている患者さんと同じ病名の人が、べてるでは、舞台で生き生きと働いていました。」

 

「べてるの利用者ということでちやほやされるし、べてるに通っていることは誇りでもある。幻覚妄想大会が近くなると、みんないつもに増して幻覚妄想を言い始める(笑)

「統合失調症、いいな」と羨望の眼差し」と言う高田さんだが、「そこに行きつかない人やマッチしない人を支えるということを私たちの仕事としてやっている。

精神病というより、若者と高齢者が困っている。そこに加えて、べてるからこぼれてくる人たちが困っている。べてるとの役割分担の中でやっています。」

 

高田さん、塚田さん、本間さんの3者に共通するのは、病院の中の閉鎖的な価値観の中で、「あれだけやってもダメだから、今回はダメでしょう」「無理でしょう」、「退院した後のことは知らない」と、退院後を考えずに支援してきたのでは?との思い。

精神病棟の廃止という課題があったこそ、地域を耕し、目の前にいる患者さんたちと地域の中で暮らすべく、奔走してきた人たちのリアルな語りは、病棟に隔離せずとも共に生きられるということを身を持って示してくれた。

 

後半は、特定非営利活動法人さんわーくかぐや事務局長の藤田靖正さん、ぐるんとびーの看板娘(小規模多機能スタッフ)のんちゃんこと高栖望さん、そして、ぐるんとびー代表菅原健介さんを軸に展開されたオープンダイアローグ!

藤田さん:小学校卒で中学はほとんど行かなかったけれど、仏像をつくること、つまりアートで命が救われた。この経験から、さんわーくかぐやではアートを大切にしています。

ある統合失調症のデイケアの利用者は、親も支援者もぼこぼこ。利用者が自身を落ち着かせるために始めたのが創作活動で、いまはアーティストとして存在している。どうやって暴力を落ち着かせるかではなく、アーティストとして歩み寄るようになったらデイケアにも通えるようになりました。アートで一気に花開く。問題ばかりに目を向けるのではなく、何を表現しているのだろう、どんなメッセージを発しているんだろう、そもそも存在がアートだよねと、そこから歩み寄っていくとまったくコミュニケーションが取れなかった人が心を開いてくれるようになる。

※特定非営利活動法人さんわーくかぐや

創作活動や生産活動を通じて、「障がいがあってもなくても、自分らしくありのままに、いつでも仲間と一緒に過ごせる場所」を提供する。2008年4月に開所した福祉活動を行うための団体。

 

高田さん:いつも日赤の看板と会話している患者さんがいましたが、本人も親も薬拒否。ベテラン看護師が、「あんなところで謝っていないで米に謝りなさい、米に声をかけなさい。」そこで、私たちが米作りをしている田んぼへ連れて行って、ある区画に声をかけてもらったら、お辞儀も見事で、一番実った。幻米として、精神科の病院の先生に3kg  1万円で売りました(笑)。子どもたちがやって来て、精神疾患のある大人の豊作の舞をぽかんと見てる。これぞ超共生ですよね。

 

(会場から)精神科の薬剤師:薬を飲ませていても病院にいる方は治らないんですね。治すことを前提に薬を処方するというよりは、ただ朝昼晩薬を飲ませるだけ。そこで、薬物療法だけでなく、オープンダイアローグへ興味を持ちました。急性期の患者さんを見ていると、コミュニケーションが取れない状態にありますが、オープンダイアローグは有効ですか?

 

高田さん:どこかでオープンダイアローグに参加しましたが、真面目で暗いという印象を受けました(笑)。浦河にはもともと対話の文化があり、入院時・中間・退院時カンファレンスに仲間も入っていました。笑いの要素、笑いの文化があり、とりわけ金欠ダイアローグは大爆笑です。薬は無理して飲ませません。本人が飲むものなので、飲ませるというのはない。なんならべてるで友だちをつくるお薬を出してもらう。

治す、より、ならすとかなれる。耕すことが大事だと考えています。患者さんを治している場合じゃない。だから、僕らは田んぼをやる。叫び続けるので、病院も警察もさじを投げた人がいますが、このように迷惑をかけ続ける人が必要です。私たちは病名を付けて分別してきましたが、こういう人が地域を耕し、耕し終わった後の地域力を高める。いまでも叫び続けていますよ。

 

藤田さん:自閉症で割り箸を詰める仕事を7年間やっていけれど、嫌になって家でも暴れるようになった女性がいました。始めは噛みついたり、柱に頭をぶつけたり、奇声をあげたりしていましたが、週1回のレスパイトでうちに通ううちに、「また割り箸を詰められるようになりました」と。でも彼女を割り箸作業に復帰させるために、僕らが関わったわけじゃない。

自閉症の人は同じことを繰り返すのが得意だから、割り箸を詰める仕事にというのは、彼女の特性を見ていないですよね。元気になったら社会復帰(割り箸作業に復帰)ではなく、構造自体を変える必要がある。何が幸福なのか、地域の生きる理念、哲学から変えていこうよ、と。学校からも「いつ教室に戻れるんですか?」とよく聞かれますが、教室に戻すためにカウンセリングしているわけじゃない。

 

高田さん:これに通じるお話かと思いますが、浦河ひがし町診療所では、「これ飲んだら治っちゃうかもしれないけど、大丈夫かい?」、つまり、治った時に自分の人生に向き合う準備はできているかい?つながりはあるかい?という問いかけをします。

 

のんちゃん:治るという価値観に関して言えば、学生時代に摂食障害になった時、初めは食べて体重が戻れば治る、食べたら治ると思っていました。でも、根本の不安は解決していない。食べないというのも不安を解消する方法で、食べるということと治るということはイコールじゃない。

だから、いま自分が何に困っているのかを話をしたほうがいい。高校の先生が毎週来て、「学校に戻ったら何が不安か」を聞いてくれた。クラスメートにカミングアウトして、何が不安かを伝えたら、治るというよりも自然と食べられる日が出てきた。こんな感じなら生きていてもいいかもと思えるようになってきた。

摂食障害は、治るというより、またいつ出るかわからないという不安は心のどこかにあるけれど、いつも誰かが関わってくれているということ、それが大事。

 

健介さん:誰かが困っている時にはみんなで考えて、環境をつくっていけたらいい。とはいえ、いろんな事業所がやせ我慢でやっている面もある。制度にない部分は、制度を変えていくと同時に、地域のつながりをつくっていく必要がある。

 


“ぐるん”と大きなひとつの家族

スタッフの畑仲間つながりで、『湘南ガーデン』さんの取材がきてくれました!

やわらかい文章で、ぐるんとびーを知らない人にも
ぐるんとびーの雰囲気や取り組みが伝わると思います。

Chako Kibeさん、素敵な記事をありがとうございました!

“ぐるん”と大きなひとつの家族。小規模多機能ホーム「ぐるんとびー」| SHONAN garden(湘南ガーデン)


ぐるんとびー、月一回のミーティング!

ぐるんとびーの月一回のミーティング。
くるみさんのカレーライスをみんなで食べて開始。

全体共有の報告をしたあとは
グループに分かれて話し合い。

     

大庭地区のこどもの問題について
大内さん(湘南大庭地区こどもの家の委員)や
長野支援の話をしたり、なんの会議だと。
もはや、これが地域ケア会議じゃないかとすら感じるww

スタッフも気がつけば50人近くなってきており
今年度には70人、来年度には100人を超えてくると思う。

だからこそ徹底的に話し合う時間が必要だと感じる。

僕らの原点であり、大切にするのはこの温度感。


Privacy Preference Center