世界に一つだけの「ユミニチュード」

代表・菅原健介を筆頭に、ぐるんとびーを統括するケアマネ兼看護師の石川、管理者の神谷、事務方兼時折夜勤担当富樫と数を挙げればキリがないお節介な人が粒ぞろい・勢ぞろいのぐるんとびーにあってしても、石川が「お節介アワードNo.1」と呼ぶのが大内由美である。

主に小規模多機能をホームヘルパーとして支える大内には、ご利用者さんの中にも根強いファンが多い。

「大内さんと一緒ならば」と3年は居座っていたかと思われる石からですら重い腰を上げさせ、外に連れ出してしまうし、他のどの事業所でも他のどのホームヘルパーでもお手上げ状態だった人でも笑顔にしてしまう。

「秘訣は?」と聞くと、「芋」とか答えてくるのであるが、その真意を紐解けば、浮かび上がってきたのは、家族から危ないからと、包丁はおろか掃除機すら取り上げられていた一人の女性。

本人の「やれる」と実際の「やれていない」のギャップにパニックを起こし、家族も含め、「何に困っているかわからなくて困っている」錯乱状態の中、その女性の懐に入り込むことに唯一成功したのが大内だった。

その混沌の真っ最中にも、大内(と石川)には、既にエプロンを付けた女性が台所に立つ姿が見えていたと言う。

「次のワクワクが見えてる。その先が見えると楽しくて仕方がない」という大内に、「どのエプロンが似合うかなって、一緒に妄想して、本当に探してたもんね」と石川。

というわけで、大内は、一緒に料理をすることに成功、ちょっと気が乗らない時にでも一緒に台所に立って芋が蒸かせるようにと、バッグの中には「芋」というわけである。

ちなみに、ぐるんとびーの近所にある東急ストアのドトールでお茶をするご利用者さんと大内を見かけたご近所さんから、「あれは嫁か?娘か?いや、あのやさしさは息子の嫁だろう」というささやき声が聞こえてきたこともあったというが、正解は、「ぐるんとびーのスタッフ(ホームヘルパー)」でした~!

介護の「か」の字も知らなかった大内がぐるんとびーに入社するきっかけとなったのは、求人のチラシ。

「子連れOK」の文言に釣られて、面談にも子連れで参上、面談中に菅原家の子どもたちとすっかり仲良しになった息子の帰り道の言葉は、「ここで働けたらいいね、ママ」。

今となってはぐるんとびーになくてはならない唯一無二の人であるが、「変化に気付くセンサー感度100%。向こう側にいっちゃってる」と石川が絶賛する大内のユマニチュードならぬユミニチュード。

一体どんなバックグラウンドがあると大内のような人が出来上がり、ユミニチュードが生まれるのだろうと素朴な疑問を投げかけると、横からすかさず石川が答えてくれた。

「千葉のヤンキー!」ヤンキー時代の黒歴史には触れずにおく。

が、ユミニチュードの確立には、必要不可欠なものであったことは記しておきたい。どんな状況でもどうにかしてしまうユミニチュードの創始者は言う。「仕事ですから。」

ケアの一つの方法論として近年注目を浴びるユマニチュード。

ユマニチュードはもちろん素晴らしいものだけれど、ユマニチュードと違って、ユミニチュードは大内由美以外の人には真似できない、世界で一つだけのものだ。でも本当は、きっと、ユマニチュードだって同じだろう。

その方法論の先に、それぞれたった一つの、その人にしかできないケアがある。だからこそ、ケアの世界は、どこまでも奥深く、面白い。

(文責:医療福祉ライター 今村美都


ミセスりんごの憂鬱

1012日に関東圏を襲った台風19号は、長野県にも大きな被害を及ぼした。

ぐるんとびーからも看護師の鎌田恋乃実(このみ)が被災地支援に派遣された。

看護師として支援に入った鎌田は、気が付けば、公私ともに認める「JAの人」となっていた?!

JAの鎌田です」

別称「ミセスりんご」。

2019128日現在、日本で一番りんごのことを考えている人間は誰かと聞かれたら、迷わず「鎌田恋乃実です」と答えたい。

まずはミセスりんごが誕生するまでの経緯をサクッと追う。

鎌田にとっての初の被災地支援は、避難所がどんな混乱に陥るのか、被災地にはどんな支援が必要かを目の当たりにする絶好の機会となった。

ぐるんとびーでの平時からの防災の意義を痛感し、看護師としてもまた一回り成長と、同時に長野から帰ってきた彼女はPTSDに陥った。

「また行かせてください」と泣いて訴える彼女を代表の菅原健介と全体を統括するケアマネの石川が、夜中にスカイプで「落ち着け~」「今、行くのは君じゃなーい」となだめすかせたこともあったという。

何かしたい、しなければと思いを募らせる鎌田が少し冷静になって、自分にできることを考えた時に頭に浮かんだのが、避難所で出会った70歳のりんご農家さん。家も畑も被害を受けたにも関わらず、「十分に食べられる。だけれどプロとしてこのりんごを売るわけにはいかない」と、大量のりんごの在庫を抱えていた彼を説得し、募金のお礼にりんごを渡すという条件でりんごを売る許可を得た鎌田。

長野に再度足を運び、自ら運んだ130個近くあったりんごは、ぐるんとびーを中心に周囲に協力を仰ぎ、すべて完売、りんご募金には総額55,500円が集まった。

りんごの気持ちになってみる

128日にぐるんとびーのイベントで鎌田に会うと、開口一番「もうすぐりんごの時期が終わってしまうんですよね。その前に何かしないと」と変わらず、脳みそはりんごのことでいっぱい。

「聞いていた通りのミセスりんごっぷり!」と心の中でニマニマしていると、続けて、「私がりんごだったら、あの木にしがみついていられるだろうかと考えるんですよね」と、りんご農家さんの思いに寄り添う、を通り越して、りんごの気持ちにまで寄り添っとるがな! そこに、「最近スーパーでりんごを見ると、君たちは大丈夫だったのかい? 売ってもらえたんだね、って思うもんね」と、ぐるんとびーの大内由美(大内さんの記事はこちら)。

「また長野にりんごを取りに行きたいんですけど、シフト的に無理」という鎌田に、「ズル休みする? シフト表にりんごのシール貼っとくか」と石川が答えるという、ぐるんとびーらしい一コマを垣間見つつ、念の為、再確認しておくと、鎌田はぐるんとびーの看護師である。

介護看護を提供する事業所である以上、看護師である介護福祉士である作業療法士であるという専門性が求められることは言うまでもない。

けれど、その職域の枠をサクッと飛び越えて、いま目の前にいる人、いま目の前に起きていることにフォーカスして、自分にできることをやる。

やってしまう。周囲もそれを応援してしまう。

ぐるんとびーでは、それができる。

というわけで、「どうやってりんごを売ろう?」と頭を悩ませるJAの鎌田ことミセスりんごを見かけたら、ぜひりんご募金にご協力を!

(文責:医療福祉ライター 今村美都)


ぐるんとびーのとある一日の会話。

hacoya の取材のために半年ぶりに訪れたぐるんとびー。

個人的にはかなりご無沙汰をしてしまった後ろめたさからか、何度も取材に訪れ、子連れでのフィールドワークも複数回行っているぐるんとびーであるにもかかわらず、ちょっと遠巻きなところから様子を窺う私。

こんなに人見知りなのに、何故ゆえにライターなんて、人と会うことの多い仕事をしているのだか...?

さて、ぐるんとびーでは基本的に外食が多いのだけれども、この日は珍しく、ぐるんとびー農園で収穫した野菜を使って、みんなで焼きそばを作って、みんなで中食をしていた。既にぐるんとびーが入る駒寄の団地の道向かいのパン屋(結構おいしい!)で買ったパンをみんなの輪に入れず、一人寂しく食べていた私を哀れに思ってか、ブルさんの「今村さん、焼きそば食べる?」の言葉に思わず、渡りに船と「いいんですか〜?食べます!」と反射的に応える私(苦笑)

というわけで、おいしく焼きそばをいただいたところで、井戸川さん、久保さん、石川さん、神谷さんの取材へ。

詳しくは hacoya の記事を読んでいただければと思うが、いやぁー、み んなそれぞれに面白かった!

取材を終えて、夕飯を食べる利用者のKさんのお隣で和んでいると(Kさんとは以前の住み込み取材でルームシェアした仲である)、ぐるんとびーの町亞聖(フリーアナウンサー)こと富樫さん(本当によく似てる)が「いま来ましたよ」という体でやってきた。

事務方の富樫さんはむしろ退社時間なはずでは...?と不思議に思って訊ねると、「今日は夜勤なんですよ〜」って。

え?夜勤???いつから介護職?!とツッコミを入れつつも、2018 年、当時小2の娘と年少さんの息子を連れて、ぐるんとびーに初めて住み込み取材をした初日、どこにスーパーがあるかもわからず、右往左往している私たち親子を自宅に連れ帰り、夕ご飯とお風呂を提供してくれた人である。

初対面なのに!あの初日の富樫さんの「おかん」っぷりが、住み込み取材を前にドキドキしていた私の心を解きほぐしてくれたことは言うまでもない。

ま、初対面なのに、ありがたくお言葉に甘えてしまうこちらもこちらなのだけれど。

そう、だから、別に驚かない。富樫さんは「そういう人」、つまり、自分にできることがあれば自然とやってしまう人=よい意味で「お節介な人」である。

が、その後の富樫さんと神谷さんの会話がなんともぐるんとびー過ぎた。

ここのところ複数の利用者の泊りが必要で、夜勤スタッフの確保が余儀なくされる状況が続いていた。

泊りが 続くOさんを見ながら、「Oさん、うちに連れ帰っちゃダメですかね?車椅子のスロープ とベッドを入れられれば、うちにお泊りできますよね」と富樫さん。

ここがぐるんとびーでなければ、管理者はおそらく「何言っちゃってんの、この人?」という顔をし、すぐさま NOと言うであろうことは想像に難くない。のであるが、ここはぐるんとびー。

そして The King of 介護職、ならぬTheQueenof 介護職のぐるんびー管理者・神谷さんである。

「いいんじゃないの〜。」

「でたよ、神谷」と心の中でニヤニヤしてしまいましたよ、はい。結局 Oさんが富樫さんのうちにお泊りすることはなかったけれども、自然とこんな会話がかわされるぐるんとび ーの日常に幸あれ。

hacoya 記事へのリンク
(文責 医療福祉ライター今村美都)


ぐるんとびーな人たち No1 「縁の下の力持ち」 菅原有紀子さん

小規模多機能型居宅介護(小規模多機能)から始まり、訪問看護ステーションを立ち上げ、地域のちょっとした困ったに応える御用聞きサービスもスタート。

11月には居宅介護支援事業所(ケアマネ事業所)が始まり、来年には、看護小規模多機能型居宅介護(看多機)も開設予定のぐるんとびー。ほかの法人とのコラボレーションによる事業展開はもとより、拠点も藤沢市にとどまらず、健介さんことぐるんとびー代表・菅原健介の地元である鎌倉へと広がり始めている。

単に介護事業所の経営者というよりも社会起業家と言っていい健介さんは、誰がどう見たって熱い人である。

でも実は冷静さも兼ね備えた、数字に強い経営者でもある。とりわけ小規模多機能のマネジメントに関しては、ノウハウ本にして売ったらいいんじゃないの?というくらいの手腕の持ち主だと勝手に思っているのだけれど、そんな情熱と冷静さのあいだにあって、モナリザ級微笑を常に絶やさず、周囲をふわっと包んでいるのが有紀子さんである。

Always Why?」と柔軟な発想でその時々の最適解を探し求め、介護×団地を軸に「団地を、地域を、一つの家族に」と、地域を耕し続ける健介さんの公私ともにパートナーであり、ぐるんとびーの経営を共に支える。

有紀子さんから見たぐるんとびーのこと、経営者・菅原健介のこと、聞いてみました。

いつもそばにいる、一番の応援者

「私の立ち位置としては、縁の下の力持ち的な存在だと思っていて。

スタッフにも健介にも、全力でご利用者さんのこととこれから目指す未来の道を向いて行ってもらいたいから、彼らが全力で向かえるよう、一番下から支えたいと思っています。

みんなが働きやすい職場にすることや不安なく働けるようにしていくのが私の役割」と語る有紀子さん。

健介さんが母である菅原由美さんの運営する小規模多機能居宅介護支援事業所「絆」やキャンナスの活動から独立し、ぐるんとびーを始める決意をした当初からの一番の支援者でもある。

「彼ならやれると思っていたし、独立したいという思いは最初から応援していました。一つの会社の経営者であること以上に、地域を変える、世界を変えると謡って、大きなことを成し遂げようとしていますよね。FBなんかを見ていると大胆な発言をしていることもあるし、敢えてそういう発言をしているというところもあるのですが、あちこちから槍が飛んでくることは始めから承知の上(笑) 私に飛んでくるわけではないので、「味方がここにいるよ」と。」

常に菅原健介って感じです(笑)

厚労省始め全国から視察が後を絶たず、メディアの注目度も高いぐるんとびー。

その表の顔である健介さんを、「常に菅原健介」という有紀子さんの表現は言い得て妙。

「0から1ができる人間は限られていますが、彼は0から1を生み出せる人。そういう意味では尊敬もしています。

彼自身かなり個性的ですが、スタッフも個性的な人が多い」というように、ぐるんとびーはスタッフも個性派ぞろいである。

その個性的なスタッフの採用に、有紀子さんも全面的に関わってきたが、採用基準の一つが、「お節介な人」。

「良くも悪くも、自分のことだけでなくて、他人のことが気になる人。採用面接で、その人の経験も踏まえてどんな生き方をしてきたかを聞いていくと、人となりが浮かんできます。

「(仕事以外で)何を大切にしていますか?」という質問は必ずします。ぐるんとびーでは介護や医療の仕事をするだけでなく、ご利用者さんやスタッフも家族のように接していきたいということが前提にあるので、プライベートなことも聞いていきますし、ご家族の理解が得られるか、家族関係はどうかも面接で見ています。

なぜかと言うと、ぐるんとびーでは、夜にカンファレンスをするのに非常勤の人も出てきたりするし、休みの日の研修も多かったりする。家族の理解がなく、「何で夜や休日にまでそんなに仕事で出ていかないといけないの?」となると、本人がやりたくても板挟みになってしまうし、そもそも家庭があっての仕事なので家庭のことはよく聞きます。採用面接なのに、結構立ち入ったことを聞いていますね(笑)」

ぐるんとびーで働くということには、単に働くということを超えて、どこまでがプライベートでどこまでが仕事かという枠組みでとらえていては苦しい部分が生じることもある。

菅原ファミリー始め、ぐるんとびーの事業所が入る同じ団地に住んでいるスタッフも少なくないため、明確な線引きではなく「ごちゃまぜ」を楽しめる精神が、ぐるんとびーの醍醐味を最大限に味わう鍵を握る。

そして、有紀子さんが採用において一番大切にしているのが、「看護師のあなたを採用したい」「介護福祉士のあなたを採用したい」という以前に、「あなた自身を採用したい」ということ。

根本にあるのは、看護師や介護福祉士である前に「人でしょ」という感覚だ。

「資格という鎧を着ているだけで、その鎧を脱げば人でしょうと。

資格以上にその人自身を見て、採用したいと考えています。看護や介護を提供する事業所である以上、もちろん資格は必要ですが、「あなた」を採用するからこそ、ぐるんとびーはスタッフ一人ひとりの特性を見極めようとするし、その成長をじっくり待とうとします。

でも、3年が経って、人材が育ってきたことから、最近は、現場の管理者に任せる方向性で進めています。

会社のスタート当時は私も一緒に採用含め前に出ていましたが、もう現場の管理者も育ってきているので、私はどんどん下がろうと思っています。見えないくらいに」と、有紀子スマイル。

「私は見えないくらいでいい」と有紀子さんは繰り返し口にするが、屋台骨を見えないところでしっかり支える存在があってこそ、組織はうまく回る。

その役割を自分のものとして自負する有紀子さんだが、「自分のことで精いっぱいで生きてきて、地域のことなんて考えたこともなかった」と意外な言葉も飛び出す。

「菅原親子に出会って、私も変わりました。少しだけ、世界を広く見ることができるようになった。

私自身に壮大なことはできなくても、それを実現する人を支えるのも一つの役割ですよね。

入社したスタッフには直属のリーダーや健介に言えないことがもしあったらいつでも言ってねと声をかけていますし、こちらからも気が付いたら声をかけるようにしています。」

そんな有紀子さんにとって何よりの幸せが、「スタッフが楽しく笑っているのを見ること」だ。

「現場はしんどいことも多いので、スタッフが泣いていたり怒っていたりする場面も見るけれど、やっぱり笑顔だと嬉しい。

「辛いこともあるけど楽しい」と言われると、心からよかったと思います。

ぐるんとびーにはルールがなくて、自分がいいと思ったことはやってもいいというスタンスなので、スタッフは日々いろんなことを悩みながら、いろんなことをやっています。

これはご利用者さんにとっていいだろうと思ってチャレンジしたことでもきっと不安。

それを私たちがきちんと「よくチャレンジしたね」「いいね、あれ」「ご利用者さんの笑顔、すごくよかったね」と声かけをすることが大切だなと思っています。」

hacoyaの採用募集記事へのリンク

文責:医療福祉ライター 今村美都


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