ぐるんとびーのとある一日の会話。

hacoya の取材のために半年ぶりに訪れたぐるんとびー。

個人的にはかなりご無沙汰をしてしまった後ろめたさからか、何度も取材に訪れ、子連れでのフィールドワークも複数回行っているぐるんとびーであるにもかかわらず、ちょっと遠巻きなところから様子を窺う私。

こんなに人見知りなのに、何故ゆえにライターなんて、人と会うことの多い仕事をしているのだか...?

さて、ぐるんとびーでは基本的に外食が多いのだけれども、この日は珍しく、ぐるんとびー農園で収穫した野菜を使って、みんなで焼きそばを作って、みんなで中食をしていた。既にぐるんとびーが入る駒寄の団地の道向かいのパン屋(結構おいしい!)で買ったパンをみんなの輪に入れず、一人寂しく食べていた私を哀れに思ってか、ブルさんの「今村さん、焼きそば食べる?」の言葉に思わず、渡りに船と「いいんですか〜?食べます!」と反射的に応える私(苦笑)

というわけで、おいしく焼きそばをいただいたところで、井戸川さん、久保さん、石川さん、神谷さんの取材へ。

詳しくは hacoya の記事を読んでいただければと思うが、いやぁー、み んなそれぞれに面白かった!

取材を終えて、夕飯を食べる利用者のKさんのお隣で和んでいると(Kさんとは以前の住み込み取材でルームシェアした仲である)、ぐるんとびーの町亞聖(フリーアナウンサー)こと富樫さん(本当によく似てる)が「いま来ましたよ」という体でやってきた。

事務方の富樫さんはむしろ退社時間なはずでは...?と不思議に思って訊ねると、「今日は夜勤なんですよ〜」って。

え?夜勤???いつから介護職?!とツッコミを入れつつも、2018 年、当時小2の娘と年少さんの息子を連れて、ぐるんとびーに初めて住み込み取材をした初日、どこにスーパーがあるかもわからず、右往左往している私たち親子を自宅に連れ帰り、夕ご飯とお風呂を提供してくれた人である。

初対面なのに!あの初日の富樫さんの「おかん」っぷりが、住み込み取材を前にドキドキしていた私の心を解きほぐしてくれたことは言うまでもない。

ま、初対面なのに、ありがたくお言葉に甘えてしまうこちらもこちらなのだけれど。

そう、だから、別に驚かない。富樫さんは「そういう人」、つまり、自分にできることがあれば自然とやってしまう人=よい意味で「お節介な人」である。

が、その後の富樫さんと神谷さんの会話がなんともぐるんとびー過ぎた。

ここのところ複数の利用者の泊りが必要で、夜勤スタッフの確保が余儀なくされる状況が続いていた。

泊りが 続くOさんを見ながら、「Oさん、うちに連れ帰っちゃダメですかね?車椅子のスロープ とベッドを入れられれば、うちにお泊りできますよね」と富樫さん。

ここがぐるんとびーでなければ、管理者はおそらく「何言っちゃってんの、この人?」という顔をし、すぐさま NOと言うであろうことは想像に難くない。のであるが、ここはぐるんとびー。

そして The King of 介護職、ならぬTheQueenof 介護職のぐるんびー管理者・神谷さんである。

「いいんじゃないの〜。」

「でたよ、神谷」と心の中でニヤニヤしてしまいましたよ、はい。結局 Oさんが富樫さんのうちにお泊りすることはなかったけれども、自然とこんな会話がかわされるぐるんとび ーの日常に幸あれ。

hacoya 記事へのリンク
(文責 医療福祉ライター今村美都)


ぐるんとびーの防災術:団地があれば避難所はいらない?!

ぐるんとびーの防災術:団地があれば避難所はいらない?!

健介さん(ぐるんとびー代表 菅原健介)は、全国ボランティアナースの会『キャンナス』のコーディネーターとして、東日本大震災における被災地支援を経験。以降も、熊本、広島、千葉、長野と相次ぐ自然災害によって被災した地にいち早く訪れ、支援を行ってきた。

そんな健介さんがぐるんとびーにおいても大切にしてきたのは、「平時からの備え、平時からのつながり」。

平時から顔の見えるつながりがあれば、いざという時に強い。

平時から備えていてこそ、非常時に力を発揮する。

避難所の困難な環境をよく知るからこそ、避難所に行かなくてもよい地域づくりを謡い、「団地が避難所として機能すれば、そもそも避難所はいらない」と語る健介さん。

10月に発生した台風19号に見る、ぐるんとびー流防災術の一部始終を大公開!

 

そもそもぐるんとびーを団地の一角に開設した理由

・地盤が固い。

・保健医療センターが目の前にある。

・堅牢なUR団地である

これらの立地条件から、災害拠点になることも視野に入れて、事業所を開設!

事前防災のススメ

1、災害が起きてから対応するのではなく、事前防災していればなんとかなる!

2、台風19号が藤沢に及ぼす被害の可能性としては、停電、断水。(建物の倒壊はほとんどないだろう。)

必要なのは、停電・断水および食料対策(+α

・飲料水:UR団地内にある自宅だけで100ℓの備蓄。事業所にも常時50ℓ。台風に備えて新たに買い足したもの、同じ団地内のスタッフ宅も含めて300ℓを準備。

・生活用水:事業所始め、団地内にあるスタッフの家、利用者の家、併せて浴槽15個分に貯水。

3000ℓの生活用水を確保。

・電気:平時から災害用のライトを多数準備。

また普段から、蝋燭を使う習慣も。

食料:ひたすらご飯を炊いておにぎりに。

7階の事務所、6階の小規模多機能と菅原自宅、併せて40合!前日の夜から5合のお米を4回。

小規模多機能を統括するケアマネ石川さんも自宅にて

20合を炊いて参戦。(おかずも事前に準備。スタッフの中には、冷蔵庫にあるものをすべて揚げたという強者も)

念のため、カセットコンロもボンベだけで3個入り7セットを備蓄。

防災+α

  • 事業所の窓ガラスにガムテープを貼って、ガラス飛散防止。
  • トイレ:

・ビニールをかぶせて、尿取りパットや新聞紙を詰めて、そこで排泄できるよう整備。さらに、排泄後に袋ごと捨てるための箱を設置。

・普段から大量の尿取りパット、ゴミ袋45リットル(1000枚)を備蓄。

・ラップポン(簡易トイレ)も被災時には便利。団地に住んでいる利用者さんは平時からラップポンを使用。利用者さん宅、ぐるんとびーで4台程度設置。

・段ボールベッド20セット常備。

ご利用者さんへの対応

・スタッフのシフトを調整し、家族のいる利用者は家にいてもらい、独居の方はぐるんとびーにお泊まり。

訪問看護の利用者には、台風の日にショートステイの利用を促し、ステイ先が見つからない場合はぐるんとびーに泊まってもらうようにした。

当日は、アパートや築100年の家に住んでいて不安のあるスタッフを始め、川の近くに住むスタッフが子連れ・犬連れでぐるんとびーに泊まりに来たり、団地の一人暮らしの人がやってきたり。

逆に同じ団地に住む利用者さんがスタッフに「うちに来てもいいよ」と声をかけてくれたり。

「考えられるだけの準備」をしたら、後はいつも通りに過ごす、以上に、なにやら愉し気でもある

ぐるんとびーらしい光景が見られた台風の日。

団地住民からも「ぐるんとびーがあるから安心」「家族も安心と言っている」という声が聞こえてきた。

 

備えすぎ、なんてことはない。事前防災で憂いを吹き飛ばす。

これでもかと災害に備えるぐるんとびーには、東日本大震災を経験しているスタッフ4名に加え、災害支援の経験があるスタッフが6名ほどいることも大きい。

災害がもたらす影響を痛感するからこそ、事前防災にスタッフ一丸となって対応できる。とはいえ、被災した経験、あるいは災害支援の経験の有無で、どうしても意識の差が生じるため、スタッフには積極的に被災地支援への参加を促す。

今回の台風による被害が大きかった長野県長野市にキャンナスの活動で初めて被災地支援に入った看護師の鎌田さんは、「被災地支援を通じて、ぐるんとびーの事前防災も決してやりすぎではなく、ここまでした方がよいのだということを身をもって体験できた。

ここまでするからこそ、安心して過ごせる」と語る。

平時からご近所さんとの顔が見えるつながりを団地で作ることができれば、被災した場合に避難所へわざわざ行かずとも、団地自体を避難所に転用できると考える健介さん。

「ぐるんとびー関連の部屋が団地内に10部屋、1500㎡程度のスペースがあり、介護が必要な人50名程度はぐるんとびーで受け入れられます。

また、介護を必要としない人は、団地の230世帯に対して自治会がマッチングしていけば、100200人は受け入れられる。

被災した場合にも、地域に福祉のマインドを持って連動する団地やマンションがあれば、避難所はいらないはずです。」

ぐるんとびー設立の根底には、健介さん自身の東日本大震災での被災地支援体験がある。

被災した時にも避難所を必要としない、平時からの地域づくりは、ぐるんとびーが大切にする柱の一つだ。


ぐるんとびーな人たち No1 「縁の下の力持ち」 菅原有紀子さん

小規模多機能型居宅介護(小規模多機能)から始まり、訪問看護ステーションを立ち上げ、地域のちょっとした困ったに応える御用聞きサービスもスタート。

11月には居宅介護支援事業所(ケアマネ事業所)が始まり、来年には、看護小規模多機能型居宅介護(看多機)も開設予定のぐるんとびー。ほかの法人とのコラボレーションによる事業展開はもとより、拠点も藤沢市にとどまらず、健介さんことぐるんとびー代表・菅原健介の地元である鎌倉へと広がり始めている。

単に介護事業所の経営者というよりも社会起業家と言っていい健介さんは、誰がどう見たって熱い人である。

でも実は冷静さも兼ね備えた、数字に強い経営者でもある。とりわけ小規模多機能のマネジメントに関しては、ノウハウ本にして売ったらいいんじゃないの?というくらいの手腕の持ち主だと勝手に思っているのだけれど、そんな情熱と冷静さのあいだにあって、モナリザ級微笑を常に絶やさず、周囲をふわっと包んでいるのが有紀子さんである。

Always Why?」と柔軟な発想でその時々の最適解を探し求め、介護×団地を軸に「団地を、地域を、一つの家族に」と、地域を耕し続ける健介さんの公私ともにパートナーであり、ぐるんとびーの経営を共に支える。

有紀子さんから見たぐるんとびーのこと、経営者・菅原健介のこと、聞いてみました。

いつもそばにいる、一番の応援者

「私の立ち位置としては、縁の下の力持ち的な存在だと思っていて。

スタッフにも健介にも、全力でご利用者さんのこととこれから目指す未来の道を向いて行ってもらいたいから、彼らが全力で向かえるよう、一番下から支えたいと思っています。

みんなが働きやすい職場にすることや不安なく働けるようにしていくのが私の役割」と語る有紀子さん。

健介さんが母である菅原由美さんの運営する小規模多機能居宅介護支援事業所「絆」やキャンナスの活動から独立し、ぐるんとびーを始める決意をした当初からの一番の支援者でもある。

「彼ならやれると思っていたし、独立したいという思いは最初から応援していました。一つの会社の経営者であること以上に、地域を変える、世界を変えると謡って、大きなことを成し遂げようとしていますよね。FBなんかを見ていると大胆な発言をしていることもあるし、敢えてそういう発言をしているというところもあるのですが、あちこちから槍が飛んでくることは始めから承知の上(笑) 私に飛んでくるわけではないので、「味方がここにいるよ」と。」

常に菅原健介って感じです(笑)

厚労省始め全国から視察が後を絶たず、メディアの注目度も高いぐるんとびー。

その表の顔である健介さんを、「常に菅原健介」という有紀子さんの表現は言い得て妙。

「0から1ができる人間は限られていますが、彼は0から1を生み出せる人。そういう意味では尊敬もしています。

彼自身かなり個性的ですが、スタッフも個性的な人が多い」というように、ぐるんとびーはスタッフも個性派ぞろいである。

その個性的なスタッフの採用に、有紀子さんも全面的に関わってきたが、採用基準の一つが、「お節介な人」。

「良くも悪くも、自分のことだけでなくて、他人のことが気になる人。採用面接で、その人の経験も踏まえてどんな生き方をしてきたかを聞いていくと、人となりが浮かんできます。

「(仕事以外で)何を大切にしていますか?」という質問は必ずします。ぐるんとびーでは介護や医療の仕事をするだけでなく、ご利用者さんやスタッフも家族のように接していきたいということが前提にあるので、プライベートなことも聞いていきますし、ご家族の理解が得られるか、家族関係はどうかも面接で見ています。

なぜかと言うと、ぐるんとびーでは、夜にカンファレンスをするのに非常勤の人も出てきたりするし、休みの日の研修も多かったりする。家族の理解がなく、「何で夜や休日にまでそんなに仕事で出ていかないといけないの?」となると、本人がやりたくても板挟みになってしまうし、そもそも家庭があっての仕事なので家庭のことはよく聞きます。採用面接なのに、結構立ち入ったことを聞いていますね(笑)」

ぐるんとびーで働くということには、単に働くということを超えて、どこまでがプライベートでどこまでが仕事かという枠組みでとらえていては苦しい部分が生じることもある。

菅原ファミリー始め、ぐるんとびーの事業所が入る同じ団地に住んでいるスタッフも少なくないため、明確な線引きではなく「ごちゃまぜ」を楽しめる精神が、ぐるんとびーの醍醐味を最大限に味わう鍵を握る。

そして、有紀子さんが採用において一番大切にしているのが、「看護師のあなたを採用したい」「介護福祉士のあなたを採用したい」という以前に、「あなた自身を採用したい」ということ。

根本にあるのは、看護師や介護福祉士である前に「人でしょ」という感覚だ。

「資格という鎧を着ているだけで、その鎧を脱げば人でしょうと。

資格以上にその人自身を見て、採用したいと考えています。看護や介護を提供する事業所である以上、もちろん資格は必要ですが、「あなた」を採用するからこそ、ぐるんとびーはスタッフ一人ひとりの特性を見極めようとするし、その成長をじっくり待とうとします。

でも、3年が経って、人材が育ってきたことから、最近は、現場の管理者に任せる方向性で進めています。

会社のスタート当時は私も一緒に採用含め前に出ていましたが、もう現場の管理者も育ってきているので、私はどんどん下がろうと思っています。見えないくらいに」と、有紀子スマイル。

「私は見えないくらいでいい」と有紀子さんは繰り返し口にするが、屋台骨を見えないところでしっかり支える存在があってこそ、組織はうまく回る。

その役割を自分のものとして自負する有紀子さんだが、「自分のことで精いっぱいで生きてきて、地域のことなんて考えたこともなかった」と意外な言葉も飛び出す。

「菅原親子に出会って、私も変わりました。少しだけ、世界を広く見ることができるようになった。

私自身に壮大なことはできなくても、それを実現する人を支えるのも一つの役割ですよね。

入社したスタッフには直属のリーダーや健介に言えないことがもしあったらいつでも言ってねと声をかけていますし、こちらからも気が付いたら声をかけるようにしています。」

そんな有紀子さんにとって何よりの幸せが、「スタッフが楽しく笑っているのを見ること」だ。

「現場はしんどいことも多いので、スタッフが泣いていたり怒っていたりする場面も見るけれど、やっぱり笑顔だと嬉しい。

「辛いこともあるけど楽しい」と言われると、心からよかったと思います。

ぐるんとびーにはルールがなくて、自分がいいと思ったことはやってもいいというスタンスなので、スタッフは日々いろんなことを悩みながら、いろんなことをやっています。

これはご利用者さんにとっていいだろうと思ってチャレンジしたことでもきっと不安。

それを私たちがきちんと「よくチャレンジしたね」「いいね、あれ」「ご利用者さんの笑顔、すごくよかったね」と声かけをすることが大切だなと思っています。」

hacoyaの採用募集記事へのリンク

文責:医療福祉ライター 今村美都


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